埼玉県内の寺社仏閣数は約4300。ほかにも教会や学校、古民家など歴史的価値のある木造建築物は枚挙にいとまがない。そのほとんどが文化財指定を受けていない小さな建造物だが、昔から地域の象徴として人々に親しまれてきた貴重な文化遺産ばかりだ。これらの価値を改めて見直し、保存・修復することの重要性や課題などについて木材の蟻害・腐朽、文化財保護に詳しい有識者4人が語り合い、後世に残していくための道筋を提言した。

 コーディネーター:足立 英樹(埼玉新聞社クロスメディア局)

東京農工大学名誉教授 福田 清春 氏

東京農工大学名誉教授 福田 清春 氏

関東学院大学建築・環境学部教授 中島 正夫 氏

関東学院大学建築・環境学部教授 中島 正夫 氏

京都大学大学院農学研究科教授 藤井 義久 氏

京都大学大学院農学研究科教授 藤井 義久 氏

ナギ産業代表取締役社長 吉元 敏郎 氏

ナギ産業代表取締役社長 吉元 敏郎 氏

木造劣化する仕組み 検査には難しさも

 ―まずは木造の文化財建造物が劣化する主な要因を教えてください。

 福田 文化財建造物に限らず木材を構造物として使う難しさは、宿命的に生物によって分解される現象を必ず伴うことです。自然界は、植物が光合成により自らを作り出し、木材を含む植物体を、昆虫を含む動物が食べ消費し、動植物の遺体を微生物が分解することで成り立っている。一方、木造住宅に住んでいる間、つまり木材を使っている間に分解劣化が起きては困るという矛盾が基本にあることをまずは理解しておく必要があります。

 では、劣化原因生物は何か。木材にとって生態学でいう消費者は昆虫で、その最大のものはシロアリです。特に重要なのは全国的にはヤマトシロアリとイエシロアリの2種類ですが、イエシロアリは比較的温暖な海岸線に沿って分布生育し、埼玉では被害例はありません。それ以外に、文化財に使われた古材に対してはシバンムシが、竹材に対してはチビタケナガシンクイが主な害虫となります。一般住宅ではラワン材などにヒラタキクイムシが被害を及ぼしますが、これは今のところ文化財にはあまり重要ではありません。

 それから極めて重要なものとして、木材を水と二酸化炭素にまで分解する分解者としての菌類、一般的にはカビやキノコなどと呼ばれるものがおり、この菌類による分解劣化現象を腐朽といいます。

 ―一般的に木造建築物の劣化はどのように調べるのでしょうか。

 藤井 国内には現在、約6千万棟の住宅があります。そのうち約800万棟が空き家で、人が住んでいる約5千万棟強のおよそ半分が戸建て木造といわれています。今後新築住宅の着工が減少しようとするなか、この2千数百万戸のストックをどう活用するか、どう維持保全するかが大きな課題となっています。この課題は約20年前から認識されており、国土交通省も重要視しています。

 ところが、これらの建物がどれほど傷んでいるのか、あるいは長持ちする可能性があるのかを調べる十分な技術が確立されておらず、技術者の養成も十分ではありません。建築物に関わる資格制度には建築士、木造建築士、施工管理技士などがありますが、維持保全やホームインスペクション(住宅診断)の資格は民間制度としてはあるものの、国家レベルでの制度化は緒についたばかりです。

 実際の劣化調査は、公益社団法人日本しろあり対策協会や一般社団法人関東しろあり対策協会などの会員が行っているのが実情で、そのための技術者養成も担っています。私自身も技術者育成を支援する立場におります。

 実際の現場には、劣化を診断する難しさがあります。床下にもぐって目で見る、たたく、触る、ほじるなどして蟻害や甲虫害、腐朽の有無を判断して、記録・保存して今後の改修などに活用します。現場は狭い床下ですから大した道具や機器を使えず、木造建築は複雑な構造のため見えない部分も多い。どうしても教科書通りにはいかず、経験に頼るところが大きくなります。さらに、点検の結果を記録して残す技術も未成熟です。

 診断の結果、必要があれば検査機器を使って虫や菌を検出したり、劣化した木材の強度を評価したりします。さらに、文化財級の建造物であればサンプルを採取してラボで分析することになります。

 一般社団法人関東しろあり対策協会が埼玉県内で実施した「文化財建造物の蟻害・不朽調査」は、一定の基準で調査されており、こうしたバックデータの積み上げが今後の診断技術の開発などに結びついていくと思います。

 

全国調査で被害把握 行政との連携進む埼玉

 ―蟻害や腐朽被害の調査は全国で実施されていると聞きました。調査からどんなことが分かりましたか。

 中島 蟻害や腐朽被害の調査の重要性は、一般の方には理解されにくいところがあります。そこで公益社団法人日本しろあり対策協会が普及活動として、手始めに静岡県で文化財の調査を行いました。ボランティア活動ということもあってメディアからも注目され、その重要性に目が向けられました。この活動を全国へ広げようと呼びかけたところ、現在の一般社団法人関東しろあり対策協会がいち早く呼応してくださいました。関東協会はボランティアの調査に積極的で、大々的に取り組みを拡大しました。

 こうした団体が全国に8団体あって、それぞれの自治体から要望を受けて文化財などの調査を行い、毎年報告書を作成しています。その数はすでに800件を超えていると思われます。調査対象は一般住宅だけでなく、文化財を含めた神社やお寺、明治以降の西洋建築物、城門などです。ボランティア調査を聞きつけた教育委員会などからの依頼が少なくないと思われます。

 平成28(2016)年から3年間の調査報告書を集計すると、全国平均で4棟に3棟、75%の木造建築物に蟻害や腐朽被害があることが分かりました。被害密度は延べ床面積1平方㍍当たり0・1から0・2カ所程度。埼玉を含めた関東は全国平均並みでした。実は昭和40年代半ばから後半にかけて、文化庁が全国の文化財数千棟を対象に調査しており、その約半分に蟻害が確認されています。

 問題は被害が発生している部位。建物の耐震性などを確保する部位が全体の7割を占めています。首都直下地震が心配される中でどう耐震性を確保するのか、切実な問題です。

 ―防除や調査の最前線の声を吉元社長にお聞きします。

 吉元 文化財などのシロアリの防除を手がけて長くなります。文化財のボランティア調査にも早い時期から参加してきました。その経験から現場の所感を紹介します。

 実は文化財の蟻害、腐朽被害の調査をボランティアで実施すること自体に前例がなく、自治体の理解を得るにも長い時間がかかりました。埼玉県内では2年ほどをかけて県教育委員会の了解をいただき、平成22(2010)年に試験的な調査を1件実施しました。行田市にある国の登録文化財で、関東協会の15社で実行委員会を組織して調査しました。その後、県教委の呼びかけで市町村へと調査が広がりました。

 これは現場の肌感覚ですが、ほとんどの文化財建造物で専門的な蟻害・腐朽検査は行われていません。寺社仏閣などでは手入れの際に宮大工や工務店が確認している程度で、それを含めても全体の2割ほどの印象です。

 数多くの床下にもぐってきた印象では、蟻害の発生率は50%ほど。その7割に食害痕がみられました。また、腐朽発生率は70%程度の印象で、関東ではほぼ同じです。

 床下はごみやほこり、残材などで放置されていて、多くの文化財建造物も似たようなものでした。通気を阻害するだけでなく、それらを媒介にして蟻害が拡大している状況が見受けられました。また、寺の本堂に隣接した、ご住職が暮らす庫裡(くり)では蟻害や腐朽被害が多く見られました。

 最近増えているのがアライグマやハクビシンなどの獣害です。文化財建造物などの床下管理と併せて、これからは獣害対策も重要になると思います。

 福田 関東しろあり対策協会が発行した文化財建造物の生劣化報告書を編集した立場から少し補足します。報告書が修理などを指摘した件数を見ると、埼玉は他県に比べて多いと思います。ただし、埼玉は事前に調査員間で被害程度をどう見るかについて、統一化を図っているため、調査員の診断基準にばらつきが少なく、結果的に指摘件数が増えたという面はあると思います。重要なのは統一された公平客観的な診断基準をつくり、調査員がこれを共有する仕組みをつくることが今後の課題です。

 そして、これは関係する研究者にとっての課題ですが、検査技術の向上に関連して、現場に持ち込める簡便な検査機器や検査手法の開発が必要です。これにより誤差の少ない診断技術を確立する必要があると思います。さらには、不良と判断された建物を修理・修繕する技術の開発も重要です。

 報告書で不良と診断された文化財建造物には洋風建築が多い印象があります。もしかすると、密閉性が高い洋風建築に劣化が起こりやすいのかもしれない。今後、文化財として認定・登録される洋風構造の建造物が増えることを想定すると、しっかりした検査技術と修理・修繕技術が必要だと思います。

 藤井 明治以降、れんが造りなどの西洋建築をコピーして建築物をつくり、近代化の象徴の一つとしてきました。しかし、本来建築物は、地場の材料で地場の大工さんが地場の人たちのために地場の環境にあわせて作るものです。形だけを似せた西洋木造は、日本の気候風土や劣化環境からすると弱点を持っています。庇(ひさし)のない屋根や柱などの軸材が見えない大壁造などがその例です。

 重要伝統的建造物群保存地区に指定されている地域が全国に50ほどあって、川越市の蔵造りに代表される町並みもその一つです。昭和期、モダンで近代的なまちづくりを標榜(ひょうぼう)した時代があって、モルタル壁をつくるなどのパラペット建築で改修された歴史があります。そこが弱点になって雨漏りやシロアリ被害などが発生し、劣化が進んでしまった例があります。それを教訓にして、現在では古い町並みに戻されています。

 行政の支援がある地域はまだしも、手が届かない古い民家や農家などをどう守っていくか、どのように診断していくか、課題は多いと思います。

日本は木造建築の国 歴史的建物守る意識を

 ―欧米と日本で文化財保護に対する認識の違いはありますか。

 中島 例えばイギリスでは貴族が所有している城や豪農の住居などの文化財級の建物をホテルなどに活用しています。歴史的価値のある建物を長く後世につないで使い続けたいという国民的な合意があるからで寄付の理解が深く、国の制度もあります。また、保存ビジネスも成り立っています。劣化の予兆を捉えるビジネスで、さまざまなセンサーを設置するなどして床下を含めて建物をモニタリングし、大事に至る前に対処するわけです。

 一方、日本はどうでしょうか。国宝級、重文級であれば進んでいそうですが、一般的な歴史的建造物や文化財指定前の建造物ではほとんどないと思います。全国調査の分析からも分かったように、構造的な安全性に関わる重要な部位に被害が集中しているにもかかわらず、常に後追いの修理になっています。イギリスのように、建造物の保護に税金や寄付金、入場料をもっと使うことが必要だという国民的な理解を広げる必要があると思います。

 藤井 木造建築物の調査や診断を定着させ、保存や維持管理、修理・修復に結びつけるための仕組みづくりは、文化財建造物に限ったことではなく一般の木造住宅にも必要です。それにはビジネスとして成り立たないと回っていかないと思います。

 福田 一般住宅についていえば、だめになったら壊してまたつくる、ということをもうやめるべきです。調査して被害が軽微なうちに対処することを繰り返せば長く使うことができます。文化財建造物でも同じです。まずは一般住宅について、そのことを多くの人がきちんと認識することから始めて、それを文化財建造物、あるいは文化財的な建造物へ広げることが大事だと、お二人の話を聞いて感じています。

 吉元 埼玉県内ではすでに9年間文化財の調査を続けていますが、私たちの業界にとってはなかなかハードな取り組みです。報酬を求めないボランティア活動であることも一つですが、行政との連携や協働に努力が必要なことです。埼玉での取り組みが評価されて、そのほかの自治体へもようやく理解が広がってきました。

 先生方が指摘されているように、文化財建造物の保護にはまず調査と診断が必要です。その技術を持っている私たちは行政ともっと積極的に協働したいと思っています。そのことについて理解が深まることを強く望んでいます。

 もう一つは、床下の物理的な〝厳しさ〟です。特に古い建物の場合は、長年のほこりやごみなどが積もっていて想像を超える状況。保存ビジネスが話題になりましたが、なかなか成立しない要因の一つに床下にもぐり込むことの厳しさがあると思います。

 加えて、診断は経験に頼るところが多いため、調査に参加する各社からはエース級の社員がそろいます。ボランティアとはいえ、各社の負担は少なくありません。補助制度などがあれば、軽減されると思います。また、一般住宅を売買する際などに診断を義務付ければ、保存ビジネスが成立しやすいと思います。

 埼玉県内には3~4千にも及ぶ寺社仏閣があるといわれています。それ以外にも歴史的価値のある建築物はたくさんあります。これまでの経験から、長く使い続けるために床下の調査をお勧めします。床下清掃とごみ処分まではボランティアとはいきませんが、調査には積極的に協力します。

 福田 文化財建造物生劣化調査報告書についてさらに補足しておきたい。この報告書には、おおよそ240件の文化財建造物の劣化状況が載っています。まとめるに当たり、どこへ向けた報告書にするのか検討しました。建物の状態が分かる内容ですから、場合によっては支障が出て使いにくい資料になってしまう危惧(きぐ)があります。それでも例えば、文化財関連の市町村の担当者などにとっては参考になる貴重な資料であると思うし、そうなってほしいと思います。

 今後は、建物の修復履歴を調べて資料化することが重要です。そのことを通じて報告書全体を見たときに、主に関東領域の気候などの地理的特徴が建物の劣化に与える影響の傾向が分かると思います。

 ―後世に残していくための課題、提言をお願いします。

 福田 一般住宅にも通じることで、劣化の重要な因子は水です。劣化調査する際には漏水や結露、地盤水の影響などを調べる必要があります。また、木材は地球上の炭素循環の主要素そのもので、やがて水と二酸化炭素に分解されます。この性質、木材の生分解性はプラスチックの非生分解性と対照的であるからこそ、これを大切にしてほしいと思います。つまり、使用している間は長持ちし、使い終わったら環境へ悪影響を及ぼすことなく速やかに処分できることです。そのためには、木材の再利用や廃棄技術とともに、木材建造物を長持ちさせるための劣化診断や修理の技術開発が必要です。

 中島 歴史的建造物をどう保存して後世に伝えていくのかという話をしてきました。いま、国は地方創生を掲げて地域の活性化を進めていますが、掛け声ほどにうまくいっているのでしょうか。そうした中で、川越などでは歴史的な建造物が地域活性化の起爆剤になっています。

 こうした好事例は全国にありますが、例えば構造的な安全性をしっかり確保するなどして活用していかなければいけないわけです。そのときに大切なのは、木造であれば蟻害・腐朽という問題を早期に発見して、必要な手当てをすることです。

 日本の木造建築物の多くは古くから、真壁(しんかべ)造りです。柱や梁(はり)などがむき出しになっているため点検しやすく劣化を早期に発見しやすい構造が特徴で、長持ちさせる先人の知恵です。現代を生きる私たちはその知恵をしっかり受け継いで維持管理や保全に努め、地方創生の核として生かしていくべきだと思います。

 藤井 日本は木造建築の国で、その歴史は1万年ほどにもなります。特に平安時代後期と江戸時代のように外国との行き来がなかった時代に日本らしい建築が生まれ、外国からも高く評価されています。明治初期には3300万人ほどだった人口は、150年ほどの間に4倍に、住宅戸数は10倍にもなりました。ところが、現在はその成長が急降下する局面にあります。私たちはそのことを認識しないといけません。

 では、日本の木造建築に何が起こっているのか。蟻害や腐朽に加え、獣害被害も深刻化しており、守りたくても守れない状況が見えています。

 国の制度が必要でしょう。しかし、最も大切なのは日本人一人ひとりが歴史的建造物を守る意識を持つことです。幸いなことに吉元さんのようなプロモーターがいて、埼玉県内での実績もあります。行政との連携をさらに深めて協働を進めれば、豊かで美しい家や街並みを護り、活性化する「埼玉モデル」ができるかもしれません。それを全国へ広げていければ素晴らしいと思います。

 吉元 構造的にシロアリがつきにくい住宅が増えていますが、30年後はどうなるのか分かりません。炭素循環を思えばシロアリは悪い虫ではありませんから、しっかり点検と診断を行い、早期に発見して対処すれば人とシロアリはすみ分けできると思います。また、藤井先生がおっしゃるように、行政との連携を深めて「埼玉モデル」をつくりたいと思います。

 先生方のご意見を励みして、蟻害、腐朽の点検・診断の火を消さず頑張ります。ありがとうございました。

(提供:ナギ産業株式会社)

 
座談会